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神戸地方裁判所伊丹支部 昭和43年(ワ)177号 判決 1969年7月31日

原告

武田義男

被告

松尾昭一

代理人

岡沢完治

河田功

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対し、別紙目録記載の土地につき、神戸地方法務局伊丹支局昭和二五年一〇月二三日受付第四〇六八号をもつてなされた所有権取得登記および同支局昭和四三年三月一八日受付第六三九三号をもつてなされた所有権移転登記の各抹消登記手続をなし、かつ右土地を明渡せ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、別紙目録記載の宅地(以下本件宅地という。)は、もと原告の所有であつたが、訴外松尾好五郎に賃貸使用させていたところ、昭和二三年一二月二七日、同訴外人の申請に基づき、自作農創設特別措置法(以下自創法という。)三条、一五条により買収され、昭和二五年一〇月二三日神戸地方法務局伊丹支局受付第四〇六八号をもつて、同法二九条による売渡を原因とし訴外人のため所有権取得の登記がなされ、昭和四三年三月一八日同支局受付第六三九三号をもつて、昭和二四年一一月二五日相続を原因として、被告のため所有権移転登記がなされた。

二、けれども、右買収、売渡行為は、いわゆる附帯買収および売渡であるところ、当時訴外人が、小作していた川辺郡長尾村鴻池字九一田八番、田、一反二畝および同所一一番、田、一反七畝六歩を、自創法三条により売渡を受けていなかつたから、本件宅地の買収および売渡を受ける適格を欠き、無効である。

三、よつて、本件宅地は、依然原告の所有に属するから、これを現に占有しかつ登記名義を有する被告に対し、請求の趣旨掲記のとおり、各登記の抹消登記手続を求めるとともに本件宅地の明渡を求める。

と述べ、被告の短期取得時効の主張に対し、次のとおり述べた。

一、被告の主張事実中、訴外人が本件宅地の売渡を受けた当時これを占有していたこと、被告が訴外人の相続人であること、被告が本件宅地を現に占有していることを認め、その余は争う。

二、被告は、昭和二八年三月一六日から同年五月一四日までの間、本件宅地から吹田市大字片山二、一九五番地に転出し、任意に占有を中止したから、時効は中断している。

被告代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、請求原因第一項は認める。同第二項中、訴外人が、原告主張の農地を小作していた事実および右農地の売渡を受けていない事実を認め、その余は争う。

同第三項中、被告が本件宅地を現に占有している事実を認め、その余は争う。

二、仮に本件宅地の買収、売渡処分が違法、無効であるとしても、訴外松尾好五郎が右売渡を受けた昭和二三年一二月三一日から所有の意思をもつて平穏かつ公然と本件宅地を占有し、右占有の始め善意、無過失であつたが、訴外人が死亡した昭和二四年一一月二五日以降は被告が相続により右占有を承継して現在に至つている。従つて、右売渡を受けた日以降一〇年の経過により、被告は本件宅地の所有権を時効取得したから、右時効を援用する。

と述べ、原告の時効中断の主張を否認した。

立証<省略>

理由

請求原因第一項の事実および同第二項中、訴外松尾好五郎が原告主張の農地を小作していた事実並びに右農地の売渡を受けていない事実は、当事者間に争いがない。

証人荒西熊治の証言および被告本人の供述によると、本件宅地の附帯買収および売渡が行われた当時、訴外松尾好五郎において小作していた前記原告主張の農地は、地主が自己の保有農地に選択したため、訴外人のために買収および売渡処分がなされなかつたことが認められる。

以上の認定事実によれば、本件宅地は、自創法一五条による買収申請をなすべき資格のない者の申請によつて買収され、かつ同法二九条による買受資格のない者に売渡されていることが認められるから、本件宅地の買収、売渡処分はいずれも違法かつ無効であるといわざるを得ない。

そこで、被告の短期取得時効の主張について判断する。

訴外松尾好五郎が本件宅地の売渡を受けた当時、本件宅地を占有していたこと、被告が訴外人の相続人であること、被告が本件宅地を現に占有していることは、当事者間に争いがない。かように前後両時において占有していることに争いがない以上、反証がないかぎり、占有はその間継続しているものと推定すべきである(民法一八六条二項。)

原告は、被告が昭和二八年三月一六日から同年五月一四日までの間、吹田市の方へ転居し、任意に占有を中止したから、時効は中断していると主張し、<証拠>によれば、被告が原告主張の期間、主張の場所へ運転免許をとるために転居の手続をとつていたことが認められる。

けれど、民法一六四条にいう「任意に占有を中止した」という意味は、占有者が占有の意思を放棄し、又は占有物の所持をやめることと解すべきところ(民法一八〇条、二〇三条、二〇四条)、不動産の占有者が転居したからといつて、当然に占有の意思を放棄し、又はその所持をやめたものと言うべきではなく、そのほか被告において本件宅地の占有を中止したことを認めるに足りる主張、立証のない以上、原告の右主張は理由がなく採用できない。

<証拠>によれば、訴外人が本件宅地の売渡を受けたのは、昭和二三年一二月三一日であり、被告が訴外人を相続したのは昭和二四年一一月二五日であることが認められる。従つて、訴外人が右売渡日以降所有の意思をもつて善意、平穏かつ公然に本件宅地の占有を初め、その後被告が右相続の日以降右占有を承継し現在に至つているものと推定されるところ(民法一八六条一項)、この推定を覆すに足りる立証はない。

前示のとおり、訴外人において、本件宅地を占有すべき権利つまり本権がなかつたにもかかわらず、訴外人が有効に本件宅地の売渡を受けたものと誤信していたこと、すなわち占有の初め善意であつたと推定されるわけではあるが、右誤信するについて過失があつたかどうかが重要な争点となつているので、以下この点について判断する。

ところで、自創法による土地の売渡処分のごとく、一般にある特定の権利を取得させる行政処分によつて権利を取得した者は、その処分によつて自己が権利者となつたと信ずるのが当然であつて、たとえその処分を無効とするような瑕疵があつた場合でも、処分の相手方において、その処分の有効性につき積極的に疑念を抱いていたとか、或は全く疑念を抱いていなかつたとしても、その瑕疵の性質および態様からみて、なんびとといえども、当然その瑕疵に気づきえたであろうといつた、特別の事情が認められないかぎり、その処分に瑕疵のないことまで確かめなければ、権利者と信ずるにつき過失があるというのは、法律知識のない一般人に難きを強いるものといわざるを得ない。そしてこの理は、本件買収、売渡処分のごとく、処分の相手方の申請に基づいて行政処分がなされた場合であつても、異ならないものと解すべきである。そこで本件につき、右の特別事情があつたかどうかを考察する。

証人荒西熊治の証言および被告本人の供述によると、本件宅地の買収および売渡処分の行われた当時、自創法に基づく農地解放手続を自らできる農民は殆んどなく、本件宅地の所在する旧長尾村鴻池地区においては、地区選出の農地委員に、同地区における農地等の事情に委わしい者として、地主側からは原告と訴外荒西熊治、小作人側からは訴外松原章裕と同坂田吉之助、自作農側からは訴外荒西広治のいわゆる補助員が協力して同地区における農地等の解放手続を推進し、同人らの指導と協力によつて解放申請の手続が行われたこと、本件宅地を含む宅地の附帯買収や売渡の申請に当つても、右農地委員や補助員らが具体的に解放すべき宅地を調査して申請書を準備し、要件事実を記載した申請書類を各申請人方に持参して、申請人の署名捺印を得たうえ、農地委員会に提出していること、本件宅地の買収、売渡の瑕疵については、売渡当時から現在に至るまでの間において、訴外松尾好五郎が何らかの疑念を持つていたことを推認するに足りる事実は認められなかつたことなどの各事実が認められ、右認定に反する原告本人の供述は採用できない。

原告本人の供述によれば、本件宅地の買収、売渡が行われた当時、原告において右処分の瑕疵の存在を気づかず、その後十数年を経過した最近に至つて調査の結果はじめてこの瑕疵を知るに至つたことが認められる。

自創施行規制七条および一二条によれば、自創法一五条一項における買収申請人の資格および同法二九条における買受申請人の資格は、右買収および買受申請書の必須的な記載要件となつていなかつたことが認められる。

以上に認定した事実関係のもとでは、訴外松尾好五郎において、本件宅地の買収、売供処分の有効性につき、積極的に疑念を抱いていたことを認めるに足りないのみならず、本件処分の瑕疵の性質、態様と前示の事情を基礎として検討してみても、なんびとといえども当然にその瑕疵に気づきえたであろうと断ずることは困難であつて、結局前示特別事情の存在を肯認することはできないのである。

そうすると、同訴外人において、本件買収、売渡処分に瑕疵があることを認識しなかつたことをもつて、自己を所有者であると信ずるにつき過失があつたとすることはできないから、被告主張の短期取得時効は完成しているものというべく、被告は、本件宅地の売渡日である昭和二三年一二月三一日から起算して一〇年を経過したことにより、その起算日に遡り、本件宅地の所有権を取得しているものというべきである。

よつて、本件宅地の所有権が原告に属することを前提とする、原告の本訴請求は、失当として棄却すべく、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(安田実)

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